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2023年2月21日

共同研究ロゴマーク
悠久を生きる巨樹と人との繋がり
~巨樹”パワー”は気候風土に育まれる~

(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会同時配付)

2023年2月21日(火)
国立研究開発法人国立環境研究所
生物多様性領域 生物多様性評価
予測研究室
特別研究員 中臺 亮介
 

本郷弓町のクスの写真
本郷弓町のクス
推定樹齢600年 東京都文京区本郷
写真提供:環境省生物多様性センター
撮影:一般財団法人自然環境研究センター

 巨樹は地球上で最も大きく長寿の生物であり、自然界で重要な役割を果たすと共に、人間社会で認識され、やがて“縄文杉”のような独自の名前を持つようになり、時に人々に畏敬の念を抱かせ、信仰の対象となっていきます。しかしながら、人と巨樹が繋がることで得られる充足感や幸福感などの精神的な恩恵がどのように形作られるのかを、科学的に説明することは今まで困難でした。
 国立環境研究所生物多様性領域の中臺亮介は、環境省生物多様性センターが提供する「巨樹・巨木林データベース」に集積された日本列島全域の巨樹38,994本の大規模データを解析し、人と巨樹の繋がりとその駆動要因の解明を試みました。その結果、人と巨樹の繋がりが、巨樹の特性(太さや推定樹齢)、及び、その背後に存在する気候・地理要因により駆動されている可能性を世界で初めて明らかにしました。
 本研究により、今後人と生物多様性の精神的な繋がりとその駆動要因の解明が進み、人間社会での役割や重要性が分からないままに失われていく精神的な自然の恩恵の消失防止に繋がることが期待されます。
 本研究の成果は、2023年2月13日にSpringer Nature社から刊行された植物学分野の国際学術誌『Nature Plants』に掲載されました。

研究の背景

 巨樹は地球上で最も大きく長寿の生物であり、自然界において重要な生態学的役割を担っています。さらに、人間社会では、飛び抜けて大きくなった樹木を認識し、社会的、文化的に重要な役割を果たすものとして位置づけます。これらの樹木は、やがて独自の名前を持つようになり、時に人々に畏敬の念を抱かせ、信仰の対象となっていきます。このように、巨樹は地域住民と精神的な繋がりを持ち、人々が巨樹に愛着を持つことで、精神的な幸福を得ることに繋がりうるのです。つまり、巨樹は、世界中の人間社会の精神的なウェルビーイング※1を促す、様々な精神的な生態系サービス※2を提供しています。また、近年のパワースポットブームなどに関連する例として、有名なパワースポットとなっている巨樹を訪問した人が、神聖なものとの繋がりから心身の充足感を得る(実際にパワーを得たのかはさておき、パワーを得て満たされたと感じる)ことも、巨樹が訪問者に提供する精神的な生態系サービスの一つと言えるでしょう。しかしながら、精神的な生態系サービスの提供プロセス、つまり、どんな巨樹に愛着を持ちやすいか、あるいは神聖さを感じるかなど、巨樹ごとの特性や分布する場所の条件などが違うため、個別の事例をもとに定量的な議論を行うことは困難でした。
 一方で、生物の大きさや分布は、地理や気候の影響を受けており、そのパターンを記述し、背景プロセスを明らかにすることは、生物多様性研究の主要なテーマとして、長く研究されてきています。巨樹も例外ではなく、樹木の大きさや樹齢などの特性は地理や気候に影響されうることが先行研究でも示されています。また、先行研究では、特別大きいあるいは長寿など、並外れた性質を持つ樹木には固有の名前が付けられる傾向や神聖なものとして認識されている傾向がある可能性が示唆されています。加えて、先行研究では、信仰といった人間の心理的な側面も気候などの影響を受けることが示唆されています。これらの知見を統合することにより、本研究では、巨樹からの精神的な生態系サービスの提供には、各巨樹の特性(太さ、推定樹齢)と、気候要因(気温、降水量)及び地理要因(緯度、標高)が、直接的、または、樹木の特性を介して間接的に影響を与えていると仮説を立てました。つまり、これまで未知であった精神的な生態系サービスの駆動プロセスをより大きな空間的なスケールで影響する地理・気候との関連から明らかにすることが可能であると考え、研究を進めました。

研究の目的

 本研究では、巨樹が提供する精神的な生態系サービスが、気候や地理分布の影響を受けた上での各巨樹の特性に応じて駆動されているかどうかを検証することを目指しました。さらに、気候や地理分布が巨樹と人間社会との関係を変化させることによって、精神的な生態系サービスに直接影響を及ぼしている可能性も検討しました。以下では、気候や地理分布が駆動するプロセスをマクロ生態学的プロセス※3と呼びます。
 本研究の中で検証した具体的な仮説は以下の通りです。
1)太く、樹齢が長い巨樹ほど、信仰の対象となりやすく、固有名称を持ちやすくなる
(=巨樹の特性が精神的な生態系サービスに影響する)。
2)気温が低く、降水量が多い地域の巨樹ほど、太く、樹齢は長くなる
(=マクロ生態学的プロセスが巨樹の性質に影響を与える)。
3)分布する緯度や標高、年平均気温や降水量の違いが、巨樹の信仰の対象となりやすさと固有名称の持ちやすさに影響を与える
(=マクロ生態学的プロセスが精神的な生態系サービスに影響を与える)。

研究手法

 上記の仮説を検証するために、環境省生物多様性センターの巨樹・巨木林データベース※4で収集された記録から、検証に用いることの可能なデータを抽出し、各巨樹の分布する住所や地名から所在地の緯度経度を特定して周囲の気候などの環境条件と結びつけを行いました。これにより、日本列島全域の幹周300cm以上の巨樹38,994本のデータセットをまとめました。分析にあたっては、精神的な生態系サービスに関する変数として、信仰の対象となる確率(%)と固有名称を持つ確率(%)を、巨樹の特性に関する変数として幹周囲長(cm)と推定樹齢(A. 99年以下、B. 100年超かつ199年以下、C. 200年超かつ299年以下、D. 300年超の4段階)を、マクロ生態学的プロセスに関する変数として年平均気温(℃)、年降水量(mm)、標高(m)、緯度(°)を対象としました。信仰の対象となる確率(%)と固有名称を持つ確率(%)は、データ内では0または1をとります。本研究での仮説を検証するために、複数の仮説の同時検証が可能な統計手法である、区分的構造方程式モデリング(piecewise structural equation modeling)を用いて、巨樹から得られる精神的な生態系サービス、個々の巨樹の特性、およびマクロ生態学的プロセスの間の関連性を分析しました。

研究結果と考察

 データ分析の結果、幹周囲長は推定樹齢と年間降水量から正の影響、緯度・標高と年平均気温に負の影響を受けていました(雨の多い場所に分布し、推定樹齢が長いほど、太い)。また、推定樹齢は年平均気温から負の影響を受けていました(寒い場所に分布するほど、推定樹齢が長い)。また、信仰の対象となる確率と固有名称を持つ確率は、いずれも幹周囲長と巨樹の樹齢の両方と正の相関がありました(太く、推定樹齢が長いほど、名前を持ちやすく、信仰の対象となりやすい)。また、信仰の対象となる確率は、緯度と正の相関があり、年平均気温と年降水量と負の相関がありました(気温が低く、雨が少なく、より北に分布するほど、信仰されやすい)。さらに、固有名称を持つ確率は、緯度、標高、年平均気温と正の相関、年降水量と負の相関がありました(気温が暖かく、雨が少なく、標高が高く、より北に分布するほど、名前を持ちやすい)。
 以上のことから、マクロ生態学的プロセスに関連する要因は巨樹から得られる精神的な生態系サービスに直接的、または、巨樹の特性を介して間接的に影響を与えることがわかりました。本研究の結果は、マクロ生態学的なプロセス、巨樹、精神的な生態系サービスの提供の繋がりを検証するために、最初に挙げた3つの仮説とほとんど一致するものでした(図1)。精神的な生態系サービスの駆動要因については、自然がどのようなプロセスで生態系サービスを提供しているのかが不明であったため、未だ研究例は少ない状況にありましたが、本研究では大規模に収集された巨樹・巨木林データベースを用いることで初めて検証が可能となりました。本研究における巨樹の太さと樹齢は、精神的な生態系サービスの提供を駆動するプロセスを明らかにする上で、単純でわかりやすく理想的な特性であり、今後他の系においても、精神的な生態系サービスの駆動要因を考える上で重要な知見になると考えられます。

図1 マクロ生態学的プロセス、巨樹、精神的な生態系サービスの関係を説明する部分構造方程式モデリング(SEM)の関係図。
図1 マクロ生態学的プロセス、巨樹、精神的な生態系サービスの関係を説明する部分構造方程式モデリング(SEM)の関係図。緑と赤の矢印は、それぞれ有意な正の相関と負の相関を示しています。矢印の太さは、0.3以下、0.3以上、0.6以上の3水準での標準化係数の大きさ(絶対値)を示しています。年平均気温と樹齢の間の経路は、解析上の制約から標準化係数が算出できなかったため、破線で示しています。

今後の展望

 日本列島の巨樹を対象とした本研究は、これまで定量的な評価が困難であった精神的な生態系サービスとその背後にあるマクロ生態学的なプロセスとの関係を明確に示した世界で初めての例です。地域や国を越えて精神的な価値を包括的に評価することは難しいですが、今後、精神的な生態系サービスを含む非物質的な生態系サービスの駆動要因について世界的に研究を行い、その類似性や差異に関する知識を蓄積することで、人間社会での役割や重要性が分からないまま、精神的な生態系サービスが失われていくのを防いでいくことが必要です。また、精神的な生態系サービスは世界中で報告されていますが、その文化的・心理的背景は地域などによって異なっています。精神的な生態系サービスは、自然と人間の認識の関係に基づくものであるため、同じ自然現象に由来する生態系サービスであっても、人間社会における文化的・心理的背景の違いが、生態系サービスの方向性や量、質に影響を与えることが予想されます。したがって、精神的な生態系サービスを地球全体などより大きな時空間スケールで理解するためには、生態的・文化的・心理的側面を含む包括的なアプローチが必要となるでしょう。

研究者からのコメント

 自然が人間社会にもたらす恩恵、言い換えると、人間にとっての自然の価値は未だ明らかとなっていない部分も多く、知らぬままに失われている状況にあります。恩恵の種類によって、受ける対象となる人が異なり、見出される価値も違うため、正しさの議論ではなく、受益者とそうでない人が存在すると考えた上で、対話できると良いのかもしれません。また、精神的な生態系サービスは提供する側の自然の状態と提供される側の人間の心理的、文化的な状態の両者によって決定されるものです。極端な例としては、巨樹がない地域で育った人と巨樹が当たり前に存在する地域で育った人の間では、巨樹を見て何を感じるかは異なる部分があることが予想されるでしょう。今回の研究では、日本国内における地域間の文化的な違いは考慮できていませんが、今後精神的な生態系サービスの評価を行っていく際には、地域や国などの文化的・心理的な違いを丁寧に考慮した上で、研究を深めていくことが重要になってくると考えています。今回の結果は大規模なデータに基づき、あくまでパターンから人と自然との繋がりの一面を明らかにしたに過ぎません。また、強調したいことは、本研究で示した結果はあくまで全体の傾向であり、各巨樹の事情を鑑みたものではないため、個別に見ていけば例外もあると考えられます。本研究の結果が、今後より詳細なメカニズムに関する研究が進むための一助となり、人と自然の関係が明らかになっていくことを期待しています。

注釈

※1:ウェルビーイング
 ウェルビーイングは心身と社会的な健康を表す言葉で、対象となる人にとって良い状態を示します。日本語では直接対応する言葉がないため、「幸福」と訳されることが一般的です。
※2:生態系サービス
 生態系から得られる様々な恩恵のことを生態系サービスと呼称しています。生態系サービスは、大きく基盤サービス、供給サービス、調整サービス、文化的サービスの4つに分類されます。本研究で着目した巨樹が人間社会に提供する生態系サービスは文化的サービスの一つで、特に人間に精神的な部分へのウェルビーイングを促す恩恵を「精神的な生態系サービス」と呼称しています。
※3:マクロ生態学的プロセス
 マクロ生態学とは、大きな空間スケールで生物の個体数・分布・大きさ・多様性を扱う生態学の一分野を意味します。ここでは、マクロ生態学において一般的な生物のパターンが地理・気候要因により駆動されるプロセスをマクロ生態学的プロセスと呼んでいます。
※4:巨樹・巨木林データベース
 環境省生物多様性センターが運営するデータベース https://kyoju.biodic.go.jp/
巨樹・巨木林データベースの「調査木」は、原則として、地上130㎝の幹周囲長が300㎝以上の木を巨樹と定義されています。巨樹・巨木林データベースでは、幹周囲長が300㎝以上の樹木個体に加えて、樹齢を重ねても幹周囲長が300㎝以上に育たない、あるいは、育ちにくい一部樹種については、幹周囲長が300cm未満の種も登録を促しています。本研究の解析においては、一律に判断可能である、幹周囲長300cm以上を巨樹として解析の対象としました。

発表論文

【タイトル】
Macroecological processes drive spiritual ecosystem services obtained from giant trees
【著者】
Ryosuke Nakadai1*
(1国立環境研究所)*責任著者
【雑誌】Nature Plants
【DOI】10.1038/s41477-022-01337-1

問合せ先

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国立研究開発法人国立環境研究所 生物多様性領域
生物多様性評価・予測研究室 特別研究員 中臺亮介

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国立研究開発法人国立環境研究所 企画部広報室
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