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2023年2月25日

共同研究ロゴマーク
保育器内のアルコール濃度を軽減する有効な対策を提案
〜早産児への影響調査から〜

(筑波研究学園都市記者会、文部科学記者会、科学記者会同時配布)

2023年2月25日
国立大学法人筑波大学
国立研究開発法人国立環境研究所
 

 エタノールを主成分とするアルコール消毒剤は、病原微生物の殺菌に優れた効果を持ち、感染症対策として広く普及しています。出産予定日より早く出生した早産児は免疫機能が未成熟なため厳重な感染対策が必要であり、さまざまな医療処置やケアにおいてアルコール消毒剤が頻用されます。また、体温調整機能を補うために、温湿度が管理できる閉鎖型保育器(保育器)が用いられます。一方、保育器は、その構造的な特性から、アルコール消毒剤が蒸発して内部にたまりやすいことが指摘されています。
 本研究チームは、保育器内のアルコール滞留の実態や早産児への吸収を明らかにするため、世界で初めて、保育器内の空気中アルコール濃度をリアルタイムで測定することに成功し、早産児の血中アルコール濃度との関連を調査しました。その結果、保育器内の早産児の全血液検体からアルコールが検出されるとともに、保育器内のアルコール濃度は、アルコール消毒剤を用いる医療処置に伴って上昇しました。これを踏まえ、保育器内での揮発アルコールの蒸発を抑制するためのアルコール消毒指針(ABD-PRAC)を策定、導入したところ、保育器内だけでなく、早産児の血中アルコール濃度も低下したことから、早産児が保育器内の空気中エタノールを吸収していることが示唆されると同時に、ABD-PRACによりこれを軽減できることが示されました。
 保育器内の早産児のアルコール吸収による有害な症状の出現はこれまでに報告されていませんが、ABD-PRACは、保育器の機能に影響を及ぼすことなく導入できる簡便で有効な対策となり得ます。
 

研究代表者

筑波大学附属病院
 藤山 聡 病院講師
筑波大学医学医療系
 高田 英俊 教授
国立環境研究所 環境リスク・健康領域
 中山 祥嗣 エコチル調査コアセンター次長(兼)曝露動態研究室室長

研究の背景

 アルコール手指消毒剤やアルコール綿に代表されるアルコール消毒剤は、感染症対策には必須の医療品で、病原微生物に感染しやすく重症化しやすい免疫不全状態の患者や新生児などの診療では頻用されます。
 新生児診療において、もう一つ不可欠な医療品に、閉鎖型保育器(注1)(以後、保育器)があります。全身の臓器が未発達の早産児(注2)は、母親の子宮外の環境にすぐには順応できないため、適切な温湿度が維持され、病原微生物による感染を起こしにくい清潔な保育器内での管理が必須です。一方で、保育器の狭く、密閉された構造特性は、アルコール消毒剤から蒸発したアルコールが内部に滞留しやすいリスクが報告されています。しかし、これまで、保育器内の空気中アルコールの詳細な実態を把握する測定手段がなく、また、保育器内の早産児に対するアルコールの影響は明らかにされていませんでした。
 本研究チームは、工業用に開発されたアルコールセンサ(注3)を用いることにより、世界で初めて、保育器内の空気中アルコール濃度をリアルタイムで測定する手法を確立し、早産児の血中アルコール濃度と、保育器内空気中アルコール濃度との関連性を調査しました。

研究内容と成果

 本研究は、Quality Improvement Study(医療の質向上研究)(注4)として実施した、3つの期間からなる前向き観察研究(注5)です。
 第一期では、保育器内の早産児のアルコール吸収の実態調査を行いました。保育器内に設置したアルコールセンサを用いて、保育器内の空気中アルコール濃度をリアルタイムで測定しました。早産児の血中アルコール濃度の測定にはガスクロマトグラフィー質量分析法を用いました。その結果、保育器内の早産児から得たすべての血液検体から、アルコールが検出されました(図1)。また、保育器内の空気中アルコール濃度は、断続的・瞬間的な上昇を繰り返し(図2)、その濃度の中央値は夜間よりも日中で高値でした(図3)。このように、保育器内の空気中アルコール濃度と早産児の血中アルコール濃度の実態が明らかになりました。
 第二期では、「保育器内の空気中アルコールが早産児に吸収されているのではないか」とする仮説をたて、保育器内の空気中アルコール濃度を下げるための対策を立案し、その効果を検討しました。まず、保育器内の空気中アルコール濃度が上昇する要因を把握するため、保育器内の様子をビデオ録画し、アルコールセンサの測定値と照合したところ、保育器内のアルコール濃度は、アルコール消毒剤を用いた処置等の際に瞬間的に上昇することが分かりました。これには、① 医療者(アルコール手指消毒後に医療用手袋を装着)によるアルコール綿を用いた医療処置、② 医療者(同)によるアルコール綿を用いない医療処置、③ アルコール手指消毒後に素手のまま保育器内の早産児と接触する家族のスキンシップ、の3つがあります。そこで、保育器内の空気中アルコール濃度が上昇する要因を低減する方策を提案し、(A)保育器内にアルコール綿を入れる際は消毒に必要な時間のみにして、できるだけ素早く取り出すこと、(B)家族はアルコール手指消毒後に60秒間手を乾燥させること、の2つを、アルコール消毒指針(ABD-PRAC)(注6)として医療従事者および患者家族に徹底したところ(図4)、効果的に保育器内でのアルコールの蒸発が抑制されました。また、アルコールによる手指消毒後に医療用手袋を装着すると、保育器内のアルコール濃度の上昇を軽減できることも分かりました。
 第三期では、ABD-PRACを導入後、再び早産児のアルコール吸収の状況を調査し、早産児の血中エタノール濃度(図1)および保育器内の空気中エタノール濃度の低下を認めました(図2、3)。早産児の血中アルコール濃度に関連する可能性のある因子を統計学的に解析したところ、ABD-PRACの導入による保育器内の空気中アルコール濃度の低下が、早産児の血中アルコール濃度の低下と最も関連していました。また、ABD-PRAC導入後の感染症の発症頻度やアルコール消毒剤の使用量に変化はなく、新生児診療における感染対策への影響はないことが示唆されました。
 以上より、保育器内では、新生児診療で頻用されるアルコール含有消毒剤から蒸発したアルコールが早産児の体内に吸収されていることが明らかになりました。また、ABD-PRACが、保育器内および早産児の血中アルコール濃度の低下に有効であることが明らかになりました。保育器内の早産児のアルコール吸収による有害な症状の出現はこれまでに報告されていませんが、ABD-PRACは新生児診療に重要な感染対策と保育器の機能に影響を及ぼすことなく導入できる、簡便で有効な対策と考えらえます。

今後の展開

 今回提案したABD-PRACは、保育器内での早産児のアルコール吸収を軽減するために有効であり、今後、広く新生児診療への普及を進める予定です。また、保育器内の空気中アルコール濃度をさらに軽減する方法を検討していきます。

参考図

(左図)早産児の患者毎の血中アルコール濃度の修正週数による推移および(右図)血中アルコール濃度の分布(赤:ABD-PRAC導入前、青:ABD-PRAC導入後)のグラフ
図1 (左図)早産児の患者毎の血中アルコール濃度の修正週数(※)による推移および(右図)血中アルコール濃度の分布(赤:ABD-PRAC導入前、青:ABD-PRAC導入後)。
 (左図)保育器内の早産児は、保育器内に収容されている全期間を通じて血中からアルコールを検出した。複数回の血液検体を測定した早産児のうち、赤線はABD-PRACの導入前の早産児の患者毎の血中アルコール濃度の修正週数による推移、青線はABD-PRACの導入後の推移を示す。連結された線は同一患者の血中アルコール濃度の推移を示し、点は血液検体を採取した時期を示す。(右図)血中アルコール濃度の中央値は、ABD-PRACの導入前は7.0mg/dL(赤)だったが、ABD-PRACの導入後は4.2mg/dL(青)に低下した。正常対照は、検査室のアルコールを含む空気に短時間触れた臍帯血の血液中アルコール濃度を用いた。
※児の成熟度は在胎週数によって異なるため、早産児は出生後からの時間を日齢等ではなく、出生時の在胎週数と日齢をたした修正週数を用いて表記される(例えば、在胎25週で生まれた日齢14の早産児は修正27週と表す)。
保育器内の空気中アルコール濃度の推移(赤:ABD-PRAC導入前、青:ABD-PRAC導入後)の図
図2 保育器内の空気中アルコール濃度の推移(赤:ABD-PRAC導入前、青:ABD-PRAC導入後)
 保育器内の空気中のアルコール濃度は、医療処置に伴い断続的・瞬間的な上昇を繰り返し、ABD-PRACの導入前は高濃度になっていたが、ABD-PRACの導入後は低下した。点線は1週間の保育器内の空気中のアルコール濃度の平均値を示し、ABD-PRAC介入前の41.9ppmが、介入後は18.2ppmとなった。
空気中アルコール濃度の平均値の分布(赤:ABD-PRAC導入前、青:ABD-PRAC導入後)のグラフ
図3 空気中アルコール濃度の平均値の分布(赤:ABD-PRAC導入前、青:ABD-PRAC導入後)
 夜間と日中の保育器内の空気中のアルコール濃度は、日中が夜間よりも高く、ABD-PRACの導入前(赤)に比べて導入後(青)は日中も夜間も低くなった。
ABD-PRACの具体的な指示(左図:医療従事者向け、右図:早産児家族向け)のグラフ
図4 ABD-PRACの具体的な指示(左図:医療従事者向け、右図:早産児家族向け)。
 ※静注;静脈注射の略。児の静脈に留置した点滴から薬剤を体内に投与する方法。ルート確保;児に点滴を行うために、静脈または動脈内に針を刺す医療処置。ルート交換;児に留置してある点滴の管(ルート)の部分を新しいものと交換する作業。

用語解説

注1)閉鎖型保育器
出産予定日より早く生まれた早産児や体重が小さく生まれた低出生体重児は、出生後の母親の子宮外の環境に自力で対応することができないため、母親の子宮内に近い環境を提供できるように、病棟内などの室内環境から隔離された閉鎖空間内で、温湿度が制御され、酸素投与や感染防止の機構を備えた、早産児や低出生体重児の生命維持装置として機能する。
注2)早産児
通常の妊娠期間(在胎37~42週未満)より早い在胎22週以降37週未満で出生した新生児。専用の新生児集中治療室(NICU)に入院し、閉鎖型保育器などの治療機器や専門の医療スタッフのサポートを受けながら成長を待つ。
注3)アルコールセンサ 蒸発した空気中のアルコール濃度を測定することに特化した装置で、小型、かつ、連続して空気中のアルコール濃度が測定可能。 注4)Quality Improvement Study(医療の質向上研究)
臨床から得られたデータと系統的に順序だてられた方法に基づき、医療の質や安全性を向上させることを目的とした研究。医療の質や安全性の向上は、「良き臨床上の基準(Good Clinical Practice)」の根幹をなす。
注5)前向き観察研究
現在から未来に向かって、個人や集団の健康状態や診療記録を収集し、将来生じる現象を分析する研究手法。
注6)ABD-PRAC(Alcohol-based disinfectant practice) 本研究で開発した閉鎖型保育器内におけるアルコール消毒剤の使用指針。

研究資金

 本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「橋渡し研究プログラム」橋渡し研究支援機関筑波大学シーズA課題(課題番号JP22ym0126803)、および、筑波大学外部資金臨床共同研究(新コスモス電機株式会社)として実施され、本研究に用いたアルコールセンサは、同社からの提供を受けました。

掲載論文

【題 名】Assessment of Alcohol Exposure from Alcohol-Based Disinfectants Among Premature Infants in Neonatal Incubators in Japan
(保育器内の早産児は、アルコール消毒剤に含まれるアルコールにばく露されている)
【著者名】Daisuke Hitaka, Satoshi Fujiyama, Yukiko Nishihama, Ryota Ishii, Yusuke Hoshino, Hiromi Hamada, Yayoi Miyazono, Shoji F. Nakayama, Hidetoshi Takada 【掲載誌】JAMA Network Open
【掲載日】2023年2月25日
【DOI】 10.1001/jamanetworkopen.2023.0691

問合わせ先

【研究に関すること】
藤山 聡(ふじやま さとし)
筑波大学附属病院 病院講師

【取材・報道に関すること】
筑波大学広報局
E-mail: kohositu("@un.tsukuba.ac.jp"をつけてください)