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2019年12月24日

環境DNAが広げる生物多様性モニタリングの
時空間

特集 環境DNA 生態系に描かれた生き物たちの航跡をたどって
【研究プログラムの紹介:「自然共生研究プログラム」から】

今藤 夏子

1.生態系サービスとは

 生態系は、物理・化学的な環境とそこに生息する生物の相互作用から構成される複雑なシステムであり、私たち人間は生態系から様々な恩恵を受けています。例えば湖という生態系は、私たちに飲料水や農業・工業用水、漁獲物を与え、水質を浄化し、湖岸や湖内でのレジャーの場を提供してくれます。湖から受けるこれらの恩恵は生態系サービスと呼ばれ、生物多様性はその基盤であると考えられています。一方で、生態系の一部である私たち人間の活動によって生態系を構成する物質や生物の複雑なバランスが変化し、受けられる生態系サービスを変化させてしまうことがあります。生態系において物質や生物が互いにどのように関係しているのかを科学的に解明していくことで、様々な人間活動が生態系サービスに与える影響を予測し、生態系サービスを持続的に享受することができると考えられます。

 自然共生プログラムのプロジェクト5「生態系機能・サービスの評価と持続的利用」では、霞ヶ浦流域をモデルとし、農業生産や水質浄化機能等の多様な生態系サービスを評価し、相互の関係を分析する研究を行っています。例えば、ある生態系サービスの恩恵を増加させた場合に、別の生態系サービスが正の相乗効果を受けて一緒に増加したり、逆に負の相乗効果を受けて低下したりするかなどを調べています。このような相互関係を明らかにすることで、流域全体で多様な生態系サービスをどのような形で維持できるのか、その解決の糸口を探りたいと考えています。

 関東平野に位置する霞ヶ浦の流域は広く、山地のほかに農地、市街地など様々に利用されています。私たちのプロジェクトでは、約50 km四方におよぶ霞ヶ浦流域を50に分割した各流域において、10の生態系サービスと生物多様性を定量化しています(図1)。生態系サービスのデータは文献やデータベースから収集していますが、なかでも各流域の情報が不足している水質と生物多様性については、本プロジェクトで実際に観測しています。これほど広範な地域でこれだけの生態系サービスと生物多様性の関係性を解析するには大きな労力がかかるため、世界でも研究例は限られており、貴重な結果が得られると考えています。

霞ヶ浦の50流域と生態系サービスの定量化と可視化の図
図1 霞ヶ浦の50流域と生態系サービスの定量化と可視化。グラフは、その流域の異なる生態系サービスを指標化して色別に表したもので、面積が大きいほど恩恵を受けていると考えられます。河川や地下水の水質(紫、青)が良いのに在来魚類の多様性(ピンク)は低い地域、水田面積率(緑)が高くて在来魚類の多様性も高い地域、などそれぞれの流域の特徴が一目でわかります。

2.広い流域の多地点で何度も魚類調査を行うには?

 本プロジェクトでは、生物多様性の指標として生態系の主要な構成生物かつ漁業の対象である淡水魚類を選びました。河川における従来の魚類調査では、わなや網などで捕獲して種類とその数を記録します。しかし、川の深い場所や流れのある場所での魚類調査は容易ではありません。魚の種類を判定する生物分類の専門家も必要ですし、専門家であっても簡単には見分けられない種も存在します。さらに、定置網を前日に仕掛けて翌日に網をあげるといった従来法で調査すると1つの流域を調査するのに1日以上かかってしまいます。日々、天候や水質は変化するため、複数の流域の調査結果を比較することも難しくなってしまいます。そこで私たちは、魚類調査の手法として環境DNA解析を採用し、これにより全50流域を10名程度で2日間、夏冬の年2回という一斉調査が可能になりました。

 環境DNAとは、生物が存在する水や土壌、空気といった環境中に含まれるDNAの総称です。DNAは全ての生物が持つ物質の1つで、その生物の設計図となる塩基配列情報を含んでいます。環境DNAに含まれる塩基配列情報を解析すれば、その持ち主である生物、つまりその環境を利用する生物が検出できるのです。環境DNAによる生物調査では、環境試料を採取すれば済むので調査地での作業は簡便・迅速に済ませることができ、生物そのものを捕獲したり、傷つけたりする必要もなく、専門家による生物の種類の判定も基本的に不要となります。環境DNAの分析技術の登場により、生物調査の可能性が空間的にも時間的にも大きく広がったと言えるでしょう。

 私たちは2016年から年2回の調査を行っており、霞ヶ浦流域から合計60種以上の魚類を検出しました(図2)。そのうち在来魚は30種以上が検出され、いくつかの流域では、絶滅危惧種であるアカヒレタビラやミナミメダカ、ニホンウナギ等も検出されました。また、チャネルキャットフィッシュやタイリクバラタナゴなどの霞ヶ浦で一般的に見られる外来魚のほか、チョウザメなどが養殖場の下流で検出されることもありました。この結果は、環境DNAが養殖場からの外来魚の逸出と野生化のモニタリングにも使用できる可能性を示唆しています。得られた霞ヶ浦流域の魚類の多様性と他の生態系サービスの関係については、現在、調べているところです。

 プロジェクトにおいて得られた多地点・複数時期の大量の魚類多様性データは、環境DNAを用いた生物多様性調査の精度向上を目指す研究にも使われています。一般的に環境DNA解析の検出感度は高いと考えられていますが、本当はそこに生息している生物のDNAを検出できない場合もあります。このような見落とし(偽陰性)は、調査の回数や試料の量を増やすことで防げると考えられますが、現実では予算や労力にも限りがあります。そこで私たちは、偽陰性が生じる確率を評価することで、検出できなかった種の存在を考慮できる新しい多様性評価手法を検討しています。

霞ヶ浦の50流域の環境DNAを解析することで検出された魚類の種群数グラフ
図2 霞ヶ浦の50流域の環境DNAを解析することで検出された魚類の種群数。塩基配列情報で見分けられない種どうしは種群としてまとめてカウントしました。夏冬の1回ずつの調査結果を示しましたが、他の年も冬の方が検出される種群数が少ない傾向にあります。冬は低温のため、活動性が低い魚が多いからかもしれません。季節や年ごとの種群の数や構成の変化を追うことで、季節的な生息場所の変化など、魚類の知られざる生態が分かるかもしれないと期待しています。

3.環境DNAを使いこなせばその先に

 生物多様性モニタリングは、その重要性が認識されているものの、生物分類の専門家の確保、調査労力などの点から、頻度や規模の縮小や中止せざるを得ないケースがあります。環境DNAによる調査は、従来の調査を補完・代替する手法となり得るでしょう。また、環境DNAは省スペースで半永久的に保存が可能で、将来的に再解析ができるタイムカプセルとしての価値もあります。本プロジェクトで得られた環境DNAを保存しておくことで、将来、魚類以外の生物について解析することもできるでしょう。

 一方、環境DNAを用いた生物調査にも課題はあります。環境DNAは従来法よりも一般的に高い検出率を持つと考えられていますが、必ずしも万能とは言えないようです。上記で述べた偽陰性の問題もありますし、生物の種類によって環境DNAによる調査が難しいものもあります。河川環境の指標生物である底生生物はその一つです。検出のしづらさの原因としては、その生物の生態(活動量が低い、限られた時間帯にしか行動しない、など)に起因するものや、種名を参照するための塩基配列情報の不足、優れた検出システムが未開発であることなどが考えられます。また、環境DNAは微生物などによって分解されるので、その分解速度や拡散される範囲を考慮して結果を解釈する必要があります。しかし、様々な検証が進められているものの、特に野外での分解速度や拡散範囲についての具体的な数値を伴う予測は現時点では難しいといわざるを得ません。どのような手法にもメリットとデメリットがあります。環境DNAも生物多様性調査のツールのひとつとして、特徴を理解した上で利用することが大切です。

 環境DNAを用いることで、生物多様性データを入手する可能性が時間的にも空間的にも大きく広がりました。生物とそれを取り巻く環境の様々な要因との相互作用を読み解く分野横断的な総合研究が、今後ますます発展することが期待されます。

(こんどう なつこ、生物・生態系環境研究センター環境ゲノム科学研究推進室 主任研究員)

執筆者プロフィール

筆者の今藤夏子の写真

最近、クライミングにはまっています。普段は屋内ジムで過ごしますが、外岩にも行ったりします。自身の技術はなかなか進歩しませんが、のんびり仲間の登りを応援したり、山や川を眺めたりしてリフレッシュしています。

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