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2022年6月30日

地球規模の気候影響予測

特集 脱炭素社会に向けて大きく舵を切った世界
【環境問題基礎知識】

高倉 潤也

 気候変動というのは地球規模で起きる問題であるため、その影響の予測についても地球規模で行うことが必要です。また、気候変動による影響は既に起こっているものもありますが、今後数十年から数百年先に亘って影響を引き起こすため、長期的な予測を行うことも必要になります。このような地球規模の長期的な影響の予測はどのように実施するのでしょうか?

 まず、気候変動の影響を考える上で役に立つのが「災害外力(Hazard)」、「曝露(Exposure)」、「脆弱性(Vulnerability)」という概念です。まず、「災害外力」というのは、「猛暑日になる」「大雨が降る」といった気候変動影響の原因となる気象条件や物理的現象そのものを意味します。気候変動による影響を考えるのであれば、この災害外力の情報が必要であるということは分かりやすいと思います。しかし、気候変動による影響は、この災害外力だけでは決まりません。たとえば、ある場所が猛暑日であったとしても、そこに人が住んでいなかったとしたら人に対する影響は生じません。影響を受ける対象(たとえば人)が災害外力に曝されることを「曝露」と言います(秘密を公にするという意味の暴露とは意味も漢字も違うので気をつけてください)。世界全体を見回すと、人が密集して住んでいる地域もあれば全く人が住んでいない地域もあり、このような違いも考慮することが必要になります。そして、暑い場所に人が住んでいたとしても、その人がお金持ちでエアコンを使える環境にある人(あるいは逆に貧しくてエアコンを使えない環境にある人)だったらどうでしょうか? 同じ災害外力に曝露しても、影響の受けやすさは異なっています。このような、対象の影響の受けやすさのことを「脆弱性」と呼びます。そして、災害外力・曝露・脆弱性の3つの要因が重なったときに気候変動の影響が生じることになります。

 さて、災害外力・曝露・脆弱性の3つの項目があれば気候変動の影響を予測できるとして、定量的な予測をするためには、これらの項目は具体的に数値として表すことが必要です。そのため、気候変動の影響予測では多くの場合、モデルと呼ばれる数式とシナリオと呼ばれる予 測の前提条件とを用いることで定量的な予測計算を行います(図1)。統合評価モデルであるAIMにも、このように複数の要因を考慮して影響予測を行うことができるモデルが含まれています。たとえば、災害外力を計算するために、大気中の温室効果ガスの濃度が2倍になったときに気候がどのように変化するかを知りたいとします。一番単純なのは、実際に試してみる(実際に地球の大気中に温室効果ガスをわざと充満させて気候がどう変化するかを観察する)というやり方ですが、これは現実的ではありません。その代わりに、このような問いに答えたい場合には、気候に関係する様々な現象を支配する物理法則を表す数式を解くことによって計算します。この「物理法則を表す数式」は、実際の現象そのものではありませんが、実際の現象を表したものであり、これを「モデル」と呼びます。一方で、現象を支配する物理法則が分かっていなかったり、数式で表すことが難しかったりする場合もあります。たとえば、気温が上がると生ビールの売上げも上がるという関係を支配する物理法則を数式で表す事は非常に困難です。しかし、過去の経験として気温がこのくらいの時には、生ビールの売上げがこのくらいだった、という統計的な関係性を表す数式については作ることができます。この「統計的な関係を表す数式」も、実際の現象そのものではありませんが、実際の現象を表したものであり、これも「モデル」と呼びます(物理法則を表す数式をプロセスモデル、統計的な関係を表す数式を統計的モデルと呼んで両者を区別するときもあります)。プロセスモデルにしろ、統計的モデルにしろ、現象そのものを表したものではなく、あくまで現象を模擬するものであるため、必ずしも現象を完璧な精度で予測することができるわけではありません。しかし、うまく使えば、十分に役に立つ精度で現象を予測することは可能です。一般にはこういったモデルを複数組み合わせて使います。

モデルとシナリオを用いた一般的な気候影響予測の流れの図
図1 モデルとシナリオを用いた一般的な気候影響予測の流れ

 モデルができたら、次はそのモデルへ入力する数値を準備することが必要になります。ここで必要になるのがシナリオです。気候変動による影響の予測は数十年以上先(場合によっては数百年先)の将来を対象として行います。そのため、たとえば、災害外力を計算するモデルへの入力としては、2100年の大気中の温室効果ガスの濃度といった情報が必要です。しかし、この値は私たち人類がどのくらい温室効果ガスを排出するかという将来の決断や選択にも依存します。あるいは、現時点では影も形もない温室効果ガス排出削減のための新たな技術が2100年までには開発されるかもしれません。そのため、将来の温室効果ガスの濃度を正確に「予測」することはできません。また、曝露や脆弱性も考慮して影響を計算するモデルへの入力としては、世界のそれぞれの地域の人口がどの程度か?世界のそれぞれの地域に住んでいる人がどのくらいお金をもっているか?という項目の情報も必要ですが、これらの値も正確に「予測」することは出来ません。そこで、これらについては「将来こうなるだろう」という予測を行う代わりに「仮に将来こうなったとしたら」という仮定を置きます。この仮定のことをシナリオと呼びます。そして、仮にこのシナリオが成り立つとしたら、という条件の下でモデルを用いて影響予測を行います。

 もし、そうなのだとしたら、影響「予測」と言っておきながら、実は「予測」をしていないのではないか? と思った読者もいるかもしれませんが、実はその通りです。特に気候変動の影響のような長期的な現象について、研究者が「将来はこうなる」という形で予測をすることは滅多にありません。あくまで、「仮に将来についてこういう前提(シナリオ)が成り立つとしたら、将来はこうなる」という形で、予測(Prediction)ではなく投影(Projection)をしている、というのが厳密には正しい言い方になります。そして、多くの場合にはシナリオは1つだけでなく、複数の異なるシナリオが用いられるため、予測(投影)の結果は1つには定まりません。予測の結果が1つに絞られないのは不便だと思われるかもしれません。しかし、実は気候変動問題のような長期的な課題に対する対策を考える上では、むしろ予測結果は1つに絞らない方が役に立ちます。たとえば「100年後に熱中症で死亡する人の数は年間10万人である。」という予測結果が1つだけ示されたとしても、それでは対策に活かすことができません。一方で「仮に温室効果ガスの排出削減が行われなかったとしたら、100年後に熱中症で死亡する人の数は年間10万人である。仮に温室効果ガスの排出削減が行われれば、100年後に熱中症で死亡する人の数は年間3万人である。」という形で結果が示されれば、温室効果ガスの排出を減らすという対策が有効であることが分かります。影響予測を行う目的は、その値を正確に予測することだけではなく、実際に起きる(負の)影響をできるだけ小さくすることです。言い換えれば、モデルやシナリオという仮想世界で予測された影響が現実世界では起きないように、現実世界を改変するために有用な情報を提供することができるかどうかが影響予測にとっては重要なのです。

(たかくら じゅんや、社会システム領域 地球持続性統合評価研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の高倉潤也の写真

 国立環境研究所に着任して以来、野球同好会の活動と地球規模での気候変動による影響評価研究に従事。本人はまだ若手研究者のつもりだったが、最近、老眼と思われる症状が始まったことにショックを受けている。

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